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鉄道部会

部会の紹介

全国鉄道本部はこんな労働組合です。

 JRにはいくつもの労働組合が並存していますが、私達は労働組合のあり方・役割について、働く者の要求を実現するためには、
 1.誰でも入れる組織
 2.会社から独立した組織
 3政党から独立した組織であることが重要だと考えています。

 こうしたことから、JRと「労使共同宣言」を結ばないことや、労働組合として「政党支持の自由」を掲げているなどの点が、他の労働組合と大きく異なっています。tct_train_suto

 JR・関連企業では利益最優先の経営によって鉄道の安全や公共性の確保は二の次となっており、職場では社員の人減らし「合理化」「効率化」の推進、賃金制度の改悪、非正規社員の拡大などを通じ、労働条件がいっそう改悪されて来ています。

 私たちは、こうした状況を変えるためには、鉄道の安全・サービス・公共性の維持・発展と、それを支えるにふさわしい職場環境、労働条件の改善は表裏一体の問題としてたたかうことが重要と考えています。

 そのためには、自らの労働条件改善にとどまらず、労働組合が果たすべき社会的な役割として、鉄道の安全・安定輸送の確保、在来線を守り公共交通機関としての確立をめざすなど、地域の利用者・労働組・政党などとともに社会的なとりくみを全国で展開しています。

 私達は暮らしを改善し、明るく働きやすい職場をめざす要求の柱として、「3つのYES!3つのNO!」を掲げています。

それは、

大幅賃上げにYES! 明るい職場にYES! 労働時間短縮にYES!

タダ働きにNO! 人減らしにNO! 第二基本給にNO! 

の切実な要求です。JRとその関連企業に対して、ともに声を上げていこうではありませんか。

その他

全動労(現・全国鉄道本部)結成の経緯とたたかい

 全動労は動労(動力車労働組合~現在のJR総連を作り上げた中心組合)から排除された組合員を中心として1974年に結成された労働組合です。その経緯とたたかいは次の通りです。

1.動労「革マル派」とのたたかい

1.動労「革マル派」とのたたかい 動労が1972年に次期(1974)参議院選挙に、当時の動労委員長を立候補させることを決定するとともに、組合員に対して「票読み」や「選挙カンパ」の強制も決定しました。同時に組合規約に「上部機関(大会・中央委員会)で決定した方針への絶対服従」を強制する条項を新設しました。
当時から動労本部は反共暴力集団である「革マル派」に牛耳られており、組合民主主義否定の暴挙を繰り返し、それに対して全国各地から反対の声がまき起こっていました。

 動労本部「革マル派」は、組合民主主義を守れ、特定政党支持の強制反対などの組合員の意見に対して、組合員の選挙権・被選挙権の停止、役員の執行権停止、除名処分(529名)などを乱発しました。決定に反対する札幌地本や支部の組織機能を停止するばかりか、動労本部に服従する組合員の「再登録」という規約にない暴挙を行いました。

そのうえ、組合事務所を暴力的に襲撃したり、反対する組合員への暴力的追及などを全国でくり広げて社会的批判をあびました。

 こうした中で、1974年3月31日、全国の仲間は、これらの攻撃をはね返し、生活と権利を守り要求実現のために、人権と民主主義を守り、国鉄労働者の組織的統一をめざす、階級的・民主的労働組合として、全国鉄動力車労働組合連合会(全動労)を結成しました。

2.全動労のたたかい

2.全動労のたたかい 全動労は自らの労働条件改善にとどまらず、労働組合が果たすべき社会的な役割として、1976年の第3回定期全国大会でJRの利用者・国民の要望に応えるために「国鉄の民主的再建」政策を決定しました。その後、地方交通線・ローカル線を守れ、通勤・通学輸送の改善、安全輸送確保など、利用者とともに社会的なたたかいを全国で展開しました。そのことが「分割・民営化」反対のたたかいへと引き継がれることになりました。

 1982年7月、臨時行政調査会は国鉄の「赤字」の原因が、「国鉄労働者が多すぎる、働かない」「国鉄職場の荒廃、規律の乱れ」等を意図的に取り上げて、「国鉄を5年以内に分割し民営化」する答申を行いました。これに対し全動労は、国鉄「分割・民営化」は「国鉄労働者と国民を犠牲にし、国民の共有財産を財界に分け取りさせるものであり、百害あって一利なし」であることを明らかにして反対の方針を決定しました。
このことについては、「分割・民営化20年の検証」を通じ、指摘した内容の正しさが証明されています。

 全動労は1987年4月1日の国鉄「分割・民営化」~JR発足を通じ、国鉄当局による徹底した組合差別と分断の組織破壊攻撃を受けました。特に、北海道ではJRを希望した組合員の78%が採用差別を受け、事実上のクビとなりました。北海道や九州の清算事業団に配属された全動労組合員は、あらたな職場とたたかいの場を求め、困難な条件をも克服しながら本州のJR三社へ広域採用に応じました。

 その後、全動労は労働組合の全国組織~全労連(全国労働組合総連合)の創設・結成に参加し、全労連加盟単産としてその役割を追求しました。
 1999年の建交労結成に際し、全動労(全国鉄動力車労働組合)は全国鉄道本部という名称・組織形態(広域支部)に変更しながら単産合同に参加し、今日に至ります。

 

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