1 池田 孝治 証人 (争議団・団長)
2 梅木 則秋 証人 (苗穂)
3 竹田 吉宏 証人 (苫小牧)
4 鈴木 富雄 証人 (小樽)
5 菊田 忠孝 証人 (岩見沢)
6 玉谷 修次 証人 (滝川)
7 鷲沢 伸光 証人 (追分)
8 渡部 謙三 証人 (鷲別)
9 山下 秀雄 証人 (函館)
10 西山 順 証人 (釧路)
竹田吉宏証人(苫小牧)陳述書 (抜すい)
◆ 苫小牧機関区(181名)の全動労組合員の組織率は半数を超えていました。
1985年4月時点組合別人数は全動労111名、動労47名、国労22名、鉄労1名、
1987年1月時点、組織破壊攻撃により、全動労組合員数は99名になりました。
◆ 1987年2月16日の全動労のJR採用者は、北海道会社5名、うち4名は、JR発足日までに全動労を脱退、清算事業団には67名が配属されました。
全動労を脱退した19名は、全員がJR北海道に採用になっています。
◆ 国鉄の分割民営化は、国民にとって「百害あって一利なし」、ローカル線を多く抱える北海道では経営が成り立たず、線路が切り捨てられ無人駅が多くなるなど公共性が失われることが明らかだったので、分割民営化反対の運動を行いワッペン・リボンで反対を訴えていました。
私が所属していた苫小牧支部では1985年に分割民営化反対を掲げてのストライキを行ったようですが、私は札幌市にある北海道鉄道学園に技能習得のために 5月から11月までの約半年の間、入園しており苫小牧の職場にはいなかったので、ストライキの参加は入社以来一度も経験がありません、労働処分も受けたこともありません。
◆ 苫小牧機関区は、職場規律で全国3悪職場と指定された。動労は、現場協議制を悪用して管理者の吊るし上げ、二人乗務で相方が気にいらないときには徹底して乗務を拒否、更衣室での麻雀、赤いシャツにサンダル履きでの仕業検査、飲酒運転での交通事故、女子寮のガラスを割り警察沙汰になり区長が貰い下げ、ポイント通過制限速度を守らない危険運転を繰り返す人、いま書き出しただけでも私は情けない思いと悔しさで一杯です。
動労役員は不祥事を起こしても職場規律を乱しても採用となっている事実は、不当な採用差別の何よりの証拠です。
◆ 不採用となった全動労組合員の仕事ぶりは、誰もが安全第一の作業と国民の財産を守る大切な仕事であるという意識が高く、組合事務所でも作業の効率を上げる技術を教えあい、列車運転中の危険箇所や癖のある車両の扱い方などをよく話していました。
列車運転中に土砂崩壊を発見し列車を非常停止させ大事故を未然に防ぎ、高度な運転技術と日頃の修練を高く評価されて局長表彰を受けている榎本さん、車両の電気指令の流れを現場では「継ぎ」と言いますがその図面が頭の中に書き込まれているかのように作動不良などの異常個所を的確に捜しあてる検査係の木田さん、自分も将来あのような技術を持った「職人」になりたいと思ったものです。
全動労と動労の先輩たちの仕事ぶりを簡単な言葉で表すと、全動労の運転士・機関士は車両に優しい運転、動労は走らせれば良い、全動労の検査係は納得するまで安全を求める車両を仕立て上げる、動労は動いて止まれれば良い、こんな印象が残っています。
◆ 鉄道を愛し安全輸送に徹し続けた全動労組合員を正当に評価せず、車両や庁舎にペンキで悪戯書きをして好き放題な悪行を繰り広げ、全国3悪職場と言われるまで苫小牧機関区を職場規律を守れない無法地帯にした動労組合員を、JR社員として職場に残した国鉄の管理者の行為は絶対に許されるものではありません。
JR発足から20年が経とうとしている今、「週刊現代」に連載されていますがJRの職場でその遺伝子が騒ぎはじめ所属する労働組合が違うだけで挨拶一つしない、他労組の組合員は同じ職場で働く仲間ではない、そんな状況になっています。
運転職場では職員同士の輪が安全を守るためにも絶対に必要です。いつJR北海道でも大惨事が起きて不思議ではない職場の状態です、分割民営化の時に動労組合員を利用した管理者のツケが高い利息が付いて職場に沈殿しています。掻き混ぜてその濁りのある水を濾過するには、国鉄分割民営化時の誤りを政府・国土交通省・鉄道運輸機構が償わない限り、JRの安全は保障されたものにはならないと私は考えます。一日も早い採用差別事件の解決、JRの安全と公共性を守るためにも裁判長の決断を強く求め私の陳述といたします。
【主 尋 問】(抜すい)
原告代理人
18歳で、苫小牧機関区に採用になったわけですけれども、あなたが苫小牧機関区で初めて見た動労の組合員の勤務態度というものはどういうものがありましたか。
竹田証人
入社してすぐに機関区構内の見学に連れていってもらったんですが、そのとき、検修職場の更衣室のほうではマージャンパイをかき回したりする音が聞こえたり、検修のふろの脱衣所からはいびきが聞こえたりしました。
原告代理人 そういう状態について、一緒に案内してくれた人からはどういう説明がありましたか。
竹田証人
説明というか、そのいびきとかマージャンのパイの音が聞こえたときには、動労のやつらだという言い方をしてました。
原告代理人 それが動労の人たちの勤務態度に接した一番最初だったわけですね。
竹田証人 はい。
原告代理人 ところで、当時、苫小牧機関区というのは、全国の中で三悪職場と言われておりましたね、覚えてますか。
竹田証人
はい。昭和58年ごろだと思いますが、全国一斉に職場の実態調査というのを実施されまして。その中で、苫小牧の機関区が全国の中の三悪職場だというような言い方をされました。
原告代理人 三悪と言われるその根拠というのは、どういうものが挙げられていたのでしょうか。
竹田証人
職場規律がもうめちゃくちゃだったということだと思います。例えば制服とか安全具の着用をしないとか,あと,決められた勤務にちゃんと就いてないとか、そういうことを指摘されての上のことだと思います。
原告代理人 職場規律の点について,それは全部動労の組合員のことだったのでしようか。
竹田証人 私はそういうふうに思ってます。
原告代理人 全動労の組合員で,そういう職場規律を乱したというようなことを指摘されるような人はいましたか。
竹田証人 おりません。
原告代理人
現場協議制で,区長,助役ら管理職をつるし上げと、こうなっておりますけれども、まず、つるし上げたのはだれですか。
竹田証人 当時の動労の支部役員の人たちです。
原告代理人 区長,助役ら管理職をつるし上げるというのは、どういうことですか。
竹田証人
現場協議制を悪用しまして、その現場協議のときに助役さんが回答したことの言葉じりをとらえて、何度も同じことを追及したり、同じ質問を繰り返して、延々とやって、現場の管理者を追い込んでいました。
原告代理人
管理職がノイローゼになって入院というのは、あなたが働き始めてからの事実としてあったのでしょうか、それ以前のことでしょうか。
竹田証人
私の入る前の話ですが、田隈助役や長岡助役が追い込まれてノイローゼになってしまって病院に通うと、そのために勤務ができなくなるから苫小牧の職場から離れていったということを聞きました。
原告代理人 2人乗務で相方が気に入らないときには徹底的に乗務拒否をした人がいる、これはだれですか。
竹田証人 動労のKさんです。
原告代理人 2人乗務で相方が気に入らないというのは、どういうことですか。
竹田証人 全動労の組合員だったら嫌だと拒否をして、一緒に運転しなかったということです。
原告代理人 それから、赤いシャツにサンダル履きで仕業検査をしていたと、これはだれですか。
竹田証人 検修の,動労の役員をやっていたTさんです。
原告代理人 これは,たまに一度ぐらいそういうことがあったというだけなのではないでしょうか。
竹田証人 夏場、暖かい時期はずっとその格好で仕事をしてたのを私は見てます。
原告代理人 あなた自身が現認してるんですね。
竹田証人 はい。
原告代理人 飲酒運転で交通事故を起こってしまった人がいる、これはだれですか。
竹田証人 動労の委員長だったTFさんです。
原告代理人 このTFさんという方は、苫小牧の動労を牛耳っていた方という評価でよろしいでしょうか。
竹田証人 そのように見えました。
原告代理人 委員長ですね。
竹田証人 はい。
原告代理人 それから、夜中に女子寮の玄関のガラスを割って警察ざたになったというのはだれですか。
竹田証人 私の同期のT君です。
原告代理人 何人かの人の名前が挙がったのですが、新会社に採用になったのでしょうか。
竹田証人 全員JR北海道の社員になりました。
原告代理人 最終的には、動労の採用率は100%なんですけれども、全動労は99人が希望を出したんですよね。
竹田証人 はい、そうです。
原告代理人 何人採用になりましたか。
竹田証人 5名でした。 原告代理人 その5名はその後どうなりましたか。
竹田証人 4月1日までに4名が脱退し、たった一人だけがJR発足を迎えました。
原告代理人 最後に、苫小牧の職場からここのところだけは訴えておきたいということなんですか。
竹田証人
苫小牧の全動労の組合員の中には優秀な方がたくさんいました。にもかかわらず、分割民営化でJRへの採用者を決めるときに、なんでたった5名しか採用にならないんだと、ほかにももっと優秀な人、社会でも認知してもらえる人がたくさんいるのに、国鉄時代、好き勝手なことをして暴れまくっていた動労組合員をほぼ100%採用して、全動労を排除する形をとった、本当に残念でなりません。今JR北海道にとって、そういう優秀な人たちを引き継ぐことができなかったということは大変な損失だと私は思っています。
【反 対 尋 問】(抜すい)
被告代理人
先ほどのあなたの陳述では、そういうふうに聞いておりますとかというようなことの陳述も結構多かったもんだから、実際に見たものは何個ぐらいあるんですかという、そういう質問ですよ。半分以上は実際にあなたが見たことが書いてあるんですか。
竹田証人
検修職場の更衣室でマージャンパイをかき回す音は聞きました。おふろ場の脱衣室からいびきが聞こえたのも聞きました。それは,そのときに職場を案内してくれた、もう退職間近だったんですが、庫内勤務という職種の人が教えてくださいました。動労のやつらだと、そういう言い方をしました。あと、現場協議制を悪用して管理者のつるし上げと書いておりますが、私が徹夜勤務のときに、その現協をやってる会議室にずっと電気がついておって、それで現協をやってるということは確認してます。そして,入区してきた乗務員さんから、また動労やってるのかと言われました。
被告代理人 じやあ、直接見たものも書いてあるということでいいですね。
竹田証人 はい。
被告代理人
あなたが昭和57年4月に苫小牧に配属された当時,職場規律が乱れてたというのはよく分かりましたけれども、その年ですが,第2臨調第3次答申というのがなされたということはあなたは記憶してますか。
竹田証人 何となく。
被告代理人
苫小牧の職場、動労組合員の仕事のやり方というのは、あなたが昭和57年4月に国鉄に入ったときから最後までずっと同じような状況でしたか。
竹田証人 途中で手のひらを返したように変わったと。
被告代理人 よくなりましたか。
竹田証人 よくなりません。普通になりました。
被告代理人
国鉄当局が、組合に対して現場協議制度のこの協約の改定の申入れをして、それで改定合意がなされたと、そのことはあなたは承知しておられるんですか。
竹田証人 いや、そういうことは分からないけど、現場協議制が57年の暮れでなくなったということは分かっております。
被告代理人
それで、なくなったのはいいんだけど、あなたの属していた全動労のほうは、現場協議制の改定、今までのような現場協議制じゃちょっとまずいので、本来の趣旨にのっとった運用をしようと,そういうような改定申入れに対して全動労は最終的にどういう態度をとったかということについて、あなたは承知しておられますか。
竹田証人
いや、先生の御質問の答えになるか分からないけど、全動労の苫小牧支部がやっておった現協のやり方というのは、必要最小限の項目に絞り込んで,短時間でちゃんとした現場協議をやってました。
被告代理人
だから、以前に動労がやってたこと,それは本来の趣旨にのっとってないと、全動労も同じだということで、それで国鉄当局は、現場協議制の運用について、本来の趣旨にのっとって、全動労に対しても改定の申入れをしたということをあなたは聞いておられますか。
竹田証人
いや、全動労はちやんとした現場協議制を、悪用してつるし上げとかはやってませんので、動労と一緒にされたくはありません。
被告代理人 国鉄分割民営化反対のリボン、ワッペンというものは着用していたことがあるんですか。
竹田証人 あります。動労の人たちも着けてました。
被告代理人
だから,最初のうちはいいかもしれないけど,職場総点検がある中で、だんだん動労の人たちは取っていったんじやないんですか。
竹田証人
57,8年ごろには、一緒に動労も国労の組合員の人も、全動労の組合員も、職場の管理者以外はみんなワッペンを着けてました。
被告代理人
あなたの前の陳述書、昔のことで恐縮なんだけど、ちょっと聞きます。「61年2月」と書いてあって、問をちょっと飛ばしますけど、「分割民営化を1年後に控え組合として反対運動を強めている時で」、間をまたちょっと抜かしますが、「私自身JRに採用になるはずがないと思いながらの日々、最後の抵抗と考え対当局」「に力一杯行っていた」と、そういうくだりがありますよね。最後の抵抗というからには、それまで抵抗を行っていたという趣旨だろうと思うんですが、先ほど聞いていた国鉄分割民営化反対のリボンだとかワッペンの着用というのもその抵抗の一つつということになるわけですか。
竹田証人
いいえ、違います。これは、先生は飛ばしましたが、このときちょうど妻が妊娠して流産という事件があったんです。そのときに私が最後の抵抗と書いたのは,精一杯仕事を全うする意味で最後の抵抗と書いたんだと思います。
被告代理人 対当局に抵抗と書いてあるでしょう。
竹田証人 うん,だから,仕事を一生懸命やる姿を見せるという意味だと思います。
被告代理人 そうですか。リボンとかワッペンを着けるという意味じやないの。
竹田証人
違います。これは,自分がもう採用にならないということを分かってても一生懸命職務を全うするという意味で抵抗と書いたんです。なんぼ一生懸命頑張っても,絶対認めてはくれないだろうと,平等な評価はしてくれないだろうということを思いながらも,仕事を一生懸命やったという意味で抵抗と書いたんです。
被告代理人
追加採用について、JR北海道、狭き門ということもあって採用されなかった人もいるだろうなということを分かってるということだから、JR本州3社のほうに応募しようという考えがあってもよかったんじやないんですかね。
竹田証人
私は、平等な公平な採用基準に基づいて採否を決めてくだされば、自分はJR北海道に採用になってると思います。
被告代理人
だから,その辺の考えが強かったために,広域追加採用のほうにもちょっと応じる気にはなれなかったということですよね。
竹田証人 それとはまた別な話です。
【補 充 尋 問】(抜すい)
原告代理人
現場協議制のことがちょっと話題になってて、団体交渉のようなものだということで説明が終わってたんですけれども、もうちょっと具体的に,全動労がどういうことをテーマにして現場協議をやっていたのかということをちょっと説明してもらえませんか。
竹田証人
本社でやる団交では少し大きな話になってしまって,職場単位の小さな話というんですか,調整が必要な問題,確認が必要な問題とか、支部段階というか,職場段階でそういう調整を図るため,確認事項をするために現場協議制というのを活用しまして,組合と国鉄で話合い,交渉で,円満に職場が回るようにしていたと私は思ってます。
原告代理人
もう一つ、さっきワッペンとかということが出ましたけれども,苫小牧でも全動労から脱退して動労に移った方がいましたよね。
竹田証人 はい。
原告代理人
それで、ワッペンをつけたかどうかということであれば、彼らもあなたたちと同じようにずっと脱退するまで全動労組合員としてつけていたことに間違いありませんよね。
竹田証人 間違いありません。採用になった5人の人たちもみんなつけていました。
原告代理人 じゃあ、余りそういうワッペンとかプレートをつけたからというのは,問題じやないんですね。
竹田証人
私もそういうふうに思います。私たちと一緒にワッペンをつけていた動労の人たちも採用になっているんですから、別にワッペンだけで採用基準をうんぬんという話では、私はないと思います。